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マリーナベイサンズの国・観光地シンガポールの歴史をわかりやすく解説!

2023 1/31
世界史
2022年5月4日 2023年1月31日
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『シンガポール』といえば何をイメージしますか??

マーライオンやマリーナベイサンズ、ガーデンズバイザベイ…などなど。

多くの方が想像するシンガポールは、華やかで豪華な国というイメージなんじゃないかな。

マーライオンとマリーナベイサンズ

実はこの国、東京23区ほどの大きさしかなく、資源がないとても貧しい土地。

なぜ、恵まれていない土地にこんな先進国ができたのだろうか。

今回は、東南アジア・シンガポールについてみていくよ!

目次

立地が良かったシンガポール

シンガポールの西側にはマラッカ海峡がある。

船貿易が盛んになったころ、東西を結ぶ貿易も始まりマラッカ海峡はよく使われたよ。

なんでよく使われたの??

その理由は、航路を大幅にショートカットできるから。

マラッカ海峡を通らないと、インドネシアをぐるっと周って移動をしないといけないんだ。

このような事情があって、今のシンガポールやマレーシアは立地的に恵まれたエリアだといえる。

ヨーロッパの進出

そんな中、時代は大航海時代に突入。

東南アジアはヨーロッパの植民地支配を受け始めるよ。

シンガポール(当時のマラッカ王国)も例外ではなく、大航海時代のイケイケなポルトガルに支配される。

その後、ポルトガルの勢いがなくなると、オランダに支配されることとなるよ。

イギリスの進出・建国の父ラッフルズ

オランダ支配の後、イギリスの東インド会社の書記官ラッフルズという人がシンガポールに上陸。

彼はこのシンガポールの立地条件に未来を感じる。

何に未来を感じたんだろう??

当時のイギリスは、植民地インドでアヘンを生産していた。このアヘンをスムーズに中国に売りつけたいと考えていたよ。

ラッフルズは、『シンガポールをインド〜中国間貿易の中継港として開発すれば、アヘン貿易が簡単にできるじゃん!』と考えたんだ。

そこで、当時マレーシアを支配していたジョホール王国からシンガポールを譲り受けて、正式にイギリス東インド会社領となったよ。

また、ラッフルズは、シンガポールを誰もが自由に行き来できる自由港とすることとした。

その中で、中国からシンガポールに華僑が多くやってきたといわれている。(※これがこの後シンガポールの歴史を左右する)

こうしてラッフルズはシンガポールはどんどんと発展させ、今ではシンガポール建国の父といわれているよ。

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日本軍がやってくる…

イギリス支配の中、日本軍の足音がシンガポールにやってくる。

第二次世界大戦の時代、燃料となる石油がどうしても欲しかった日本は、石油産国インドネシアを手に入れたいと考えた。

ただ、いきなりインドネシアを攻撃するのは、日本から離れているしハードルが高い。

そこで、日本はまずシンガポールを支配して、そこからインドネシアに進出しようと考えたんだ。

こうして、イギリスに変わり日本がシンガポールを支配することとなったよ。

ただ、当時の日本は中国と敵対していたこともあり、現地の華僑を次々と虐殺。

なかなかの無惨な虐殺だといわれいているよ。

マレーシア連邦の成立

そんな日本軍も第二次世界大戦で敗戦し撤退する。

マレー半島は再びイギリスの支配が始まり、今のシンガポールを含めたマレーシア連邦ができるよ。

ただ、マレーシア国内では、華僑の方が裕福で、現地のマレー人は貧乏という社会問題を抱えていた。

これを解決するため、マレーシアの中央政府は、マレー人を優遇する政策(ブミプトラ政策)を掲げたよ。

具体的には、マレー人が優先して大学に入学できたり、公務員採用試験で優遇されたりといった政策。

これは、シンガポールにとっては一大事。

なぜなら、シンガポールという場所はラッフルズが多くの華僑を呼び込んだ、華僑中心のエリアだからだ。

この政策が進められると、シンガポールはとても不利な立場になってしまう。

こうして、マレー人を優遇したいマレーシア中央政府VSマレー人も華僑も平等に扱ってほしいシンガポール、という争いが起こるんだ。

その争いの末、シンガポールはマレーシアから切り離される形で独立。

土地も資源もないシンガポールにとって、独立はとても苦渋の決断だったようだ。

リー・クアンユーの登場

その後のシンガポールは、独立の中心となったリー・クアンユーが首相となって改革を進める。

大きく分けて3つ。

①税制を優遇&外国の企業を誘致

資源がなく、何かを作って売るというビジネスができないので、外国企業を誘致して投資や雇用を産み出そうとした。

②積極的な移民の受け入れ

国内の人材が限られているため、外国人にも働いてもらうことで、国を活性化しようとしたよ。

③徹底的な競争社会

資源も人口も少ない国が勝つ方法は、競争しかないと考えたんだね。

シンガポールの競争社会を特にあらわしているのが、PSLEという小学校6年生時の選抜試験。

この結果によって、大学に行ける人生を歩めるかどうかが決まるんだ。

小学校6年生で人生が決まってしまうというのは、日本より断然競争社会だよね。

まとめ

いかがだったでしょうか?

今では大都会のシンガポールだけど、その歴史はなかなか大変だったようだ。

観光でも人気の国なので、ぜひ歴史を知ってシンガポール旅行をより深みのあるものにしてみて欲しい。

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世界史
シンガポール 東南アジア

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